【35】■霊視と占い:土地浄化で得られた重要な気づき■

土地浄化を終えて・・・

本日、午後から土地浄化を行わさせて頂きました。
場所は神奈川県の大磯です。

先日の夜がなかなか寝付くことができずに
御経や真言を唱えたり印をきったりしておりました。

今回の出張は新幹線できたのですが
泊まるところが意外とインターネットを見てもなかったですので
行きあたりばったりで行こうとおもい
まずは宿探しからはじまり、
先日は平塚にとまり
今は大磯の海の近くに泊まっております。

早目に大磯の駅に到着して
地図をみたり写真をとったりと・・
しながら
観光案内所がありましたので
そこを訪れてみますと、なかなか親切にして頂きまして
泊まる旅館の案内から
貸し自転車を教えてくれたりお世話になり、
無事に現地に到着し、浄化をおこないました。

最後に、大峰山で汲んできた御水を
まき無事に雨も降らずに終了しました。

先日の夜からいろいろ降りてきたものがありますので
御紹介したいとおもいます。

浄霊とは僕がするのではなく
媒体でしかない。
その土地にいる霊にどいてもらうのではなく
御願いさせてもらい家を建てることを理解して頂き
そして協力してもらうことを意味する。
なぜ、媒体を必要とするかは
例えば仕事において本社が大阪、支社が東京の場合
支社にいる社員に社長が支持をだし
社員がそれを忠実にこなす。
つまり、遠くにいながらでも
同じ動きをすることができるわけであります。

これを遠隔といいます。

しかし、遠隔ではなく直接、現地にいってしたほうがいい場合もあります。
大きな取引でしたらかけひきなども多分に存在しますので
社長自ら支社ででかけお客様と話をすることで
いい形になることがあります。

今回の土地浄化は現地に行くことを主体としておりました。
遠い場所から浄化する為だけに行くという行為自体が大切であり
神がかり的なものを引き寄せることが可能になります。

このことを目的意識といいます。
目標をもって行動することで願望が実現するというような類になるわけです。

また浄化することにより、土地に住んでいる霊を
高い次元に引き上げていくことも意味しております。
案の定、雨を懸念していた曇り空でしたが
浄霊がおわり、少したつと短い間でしたが
雲と雲の隙間から太陽がさしてきました。

きっといい方向にいったのでしょう。
晴れがいい、雨が悪いということではないのですが
ケースバイケースによるものですが
雨の場合でしたら、洗い流すという意味を含むこともありますし・・・・

子供ができにくい体質な方がいます。
解決策としては自己能力では難しい場合は
他者のエネルギーを利用する方法があります。
これは、子沢山の方や、妊娠しやすいかたとお友達になったり
話をしたりすることでその運気をもらうことができます。
厳密にいうならば、もらう・・ということより
映るといった方がいいかもしれません。
例えば、やくざの親分さんと一緒に歩いている人は
何かわからないけど、強くなった気がして
胸をはって歩く感覚に似ているとおもいます。
実際問題、自分は強くもなっていないのですが
親分さんと歩くと、その影響もあり
周りの視線がかわり、あたかも自分が強くなったような錯覚がおきるわけです。

恋愛をしたい方は、恋愛をたくさんされている方と出会えばいいわけです。

これは相手のエネルギーを一時的にもらう術であるといえるでしょう。

水子というお話は何回かしたとおもいます。
水子は堕胎した時点で出来ると通説になっております。
本質は生れてきた子供(0歳~3歳)をさすことを意味したことは
以前のブログにかいたことがあります。

では堕胎とはどのようなものなのでしょうか?
遊びでは、モラルという意味ではよくないとおもいますが
真剣に考えなければならないときがあります。
高校生の時に妊娠してしまった・・・というような・・・
命あるものを殺す行為だ・・という方がいます。
確かにそのような目線もあるかもしれません・・
しかしもっと深いところに意味があるはずです。
この問題を考えた時に降りてきたものは
「チャンスを与えること」と降りてきてました。

意味がなんだかわからないかもしれません・・・
つまり堕胎した時の生命は違う方のところに生命として宿るわけです。
子供が欲しいと切に願っている方のところにいくわけです。

なぜそのようなことが起きるのか・・というと
満たされた人がつぎに移す行動は他者に分け与えることです。

つまり御子様に恵まれた方々は
それ以上いらないとおもった時に
その力や能力や運気を欲しい方にプレゼントすることとなるとおもいます。
このブログを読まれている方で
堕胎を決断せざるえない方がいらっしゃるかもしれません・・・
その時は、この命が他の方に、節に臨んでいる方の所へ行くように
祈ることが大切ではないでしょうか・・・

堕胎される魂の立場になった場合
皆さまはどのように考えるでしょうか?

僕らは選んでこの惑星に生命として生れてきているわけですから
この母親の胎内で生れようとした時に
諸事情から堕胎してしまうことがわかった時に
違う胎内を探すとおもいます。
その時に堕胎された女性を恨むでしょうか?

そして別の胎内から生れた時に
最初の胎内の女性を恨むでしょうか?

恨みをこめて赤ちゃんは生れてくるのでしょうか?

違うとおもいます。
恨みはこの現世にだけ存在するものだとおもいます。

もっと高尚な姿をして、高尚な思考をもって
胎内に入るとおもいます。

実際の状況を経験した人かたしたもっと
いろいろあるかもしれませんが、男性である私の言葉でありますので
いたらないところがあるかもしれませんが
その点はご容赦くださいませ・・・

このことについていいたいのは
全ての出来事は
深く考えるためであり
自己成長するためであり
「気づき」の場であり「学び」の場と心得ることがポイントだとおもいます。

ボランティアをされる方は少なくとも
現在の生活に満足されている方だから余裕をもってできるはずです。

お子様の問題、堕胎など一緒にしてしまっては申し訳ないところが
あるかもしれませんが
掘り下げていくと、同じような場所につながっていきます。

「学びの一つ」といったら分かりやすいかもしれません。
出来事に対して真剣に考える。
そして人生の糧として次につなげるわけです。

http://www.koumeican.net

写真は自転車で移動したものです
なかなかいい感じで考えました・・・・